大阪地方裁判所 昭和53年(わ)1958号 判決 1979年6月21日
主文
被告人を懲役三年に処する。
この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。
理由
(被告人の身上経歴)
被告人は、叔父から引継いだ鉄工所を兄と共に経営していたが、昭和四三年ころ多額の負債をかかえ倒産し、その後昭和四四年三月ころ家族や親類の援助を受けて再び鉄工所を一人で始め細々と続けていたが、これも倒産時の債権者から差押を受け、更に昭和四八年ころ糖尿病を患ったため、鉄工所を債権者に手渡しその後は病気治療に専念し、右糖尿病が相当程度回復した昭和五〇年一〇月ころから木下鉄工所に工員として勤めているが、前記倒産時の債務がいまだに残っており、毎月兄とともに金三〇、〇〇〇円を返済しなければならない外、以前友人のため保証人となったその保証債務の支払のため家族に内緒でサラリーマン金融からの借入を繰返す羽目になり、その大部分については後に家族の知るところとなりその援助を受け弁済したものの、既に倒産以来多大の金銭的負担を家族にかけていることから一部残った元金約五〇、〇〇〇円の借入については打明けることができないまま、何とか家族に知られることなく自らの手で弁済しようと努力してきたが、木下鉄工所の給料ではとてもこれを支払えず、右借入金に対する利息金の支払さえも昭和五三年三月から滞っていた。
(罪となるべき事実)
被告人は、前記サラリーマン金融への返済をこれ以上滞ると督促を受け、いまだ借入金のあることが家族にも知れてしまうため、何とか家族に知れることなく返済する方途はないものかと思い悩んだ末、工具店の店員の隙をみて工具を盗み、これを知合いの同業者に売却してその返済にあてようと決意し、昭和五三年五月四日午前八時一〇分ころ、あらかじめ下見していた大阪市南区谷町七丁目一二番地新谷町第三ビル一〇七号大阪鋼機株式会社谷町営業所に客を装って入り、応対に出た同営業所所長川嶋明夫(当時五八年)の隙を見て陳列ケース内から、同人管理にかかる同会社所有のメタルスロッティング一七枚(時価六八、〇〇〇円相当)を窃取したところ、同人に発見され、何回も許しを乞うたがいれられず、かえって同人に取り押えられた。その際、被告人は今まで同種犯行を何回か犯したものの、いずれも起訴を猶予されてきたが、昭和四九年一二月最後の起訴猶予処分を受けたとき検察官から「今度同じようなことをしたら刑務所行きだぞ」と言われたことを思いだし、何としてでもこの場を逃れなければいけないと思い、逮捕を免れる目的をもって、同人の胸倉を掴んで押し倒し、更に同人ともみ合ううち、その場にあった長さ約九メートルのロープで同人を縛って逃走しようとして、右ロープを同人の後ろ首にひっかけて引っ張る等の暴行を加えたものである。
(証拠の標目)《省略》
(強盗致傷の訴因につき事後強盗を認定した理由)
刑法上にいわゆる傷害とは法律上の概念であり、医学上の傷害の概念とは意味を全く同じくするものでないことは勿論、刑法上においても各特別構成要件中に傷害という言葉が使われていてもその意味内容を全く同じに解さなければならないものではなく、各構成要件の態様、立法趣旨等に照らし合理的目的論的に解釈するのが相当である(この概念の相対性については、既に刑法上の暴行の意義に関し一般に認められているところであり充分首肯できるところである)。
そこで、強盗致傷罪における傷害の程度を検討してみるに、傷害罪と暴行罪の法定刑の下限はいずれも科料で同一であるのに対し、強盗致傷罪の法定刑の下限と強盗罪の法定刑の下限との間には傷害の有無によって懲役二年もの差があるうえ、強盗致傷罪においては例え財物奪取が未遂にとどまっても同罪の既遂の刑責を負い、未遂減軽の余地がなく、同罪の保護法益としては、人の生命、身体が格段に重視されていること、更に強盗致傷罪自体無期又は七年以上の懲役という極めて重い法定刑を規定していることからいっても、同罪における傷害は右重い法定刑に値する類型性をもったものでなければならないこと、又強盗罪の構成要件要素たる暴行は、直接被害者の身体に加えられることを要し、かつその程度も暴行罪における暴行よりも強度な、被害者の反抗を抑圧する程度のものでなければならないと解されているが、このような有形力が行使された場合には、被害者の身体の一部に軽度の発赤や皮下出血あるいは腫脹等の痕跡が残るのがむしろ一般であり、このような軽微な生理的機能の障害は、右暴行に伴う当然の結果と言い得ること等から考え、強盗致傷罪における傷害の程度は、傷害罪におけるそれよりは強度の生理的機能の障害ないし健康状態の不良な変更を受けたことを要し、日常生活にほとんど支障をきたさず、強盗罪における暴行による不可避的な結果と認められる程度の僅かな創傷の類は、強盗致傷罪の傷害には該当しないと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、《証拠省略》によれば、本件被害者川嶋明夫は被害にあった直後病院で医師の診察を受けたところ、当初「右腰部頸部打撲、頸部右肘部右膝擦過傷により約五日間の通院加療を要する見込」と診断されたものであるが、右診察医師によれば、腰についてはいわゆる打ち身程度で何ら外見的所見は認められなかったし、他の部分については軽い傷であったという程度の記憶しか現在はないこと、又川嶋明夫自身の記憶によっても傷の痛みはいずれもほとんどなく、肘・膝は長さ三センチメートル、幅一・五センチメートル位赤くはれていただけで頸部については医師から指摘されて初めて右耳の後ろに三センチメートル位赤黒くなっているのがわかったものであること、川嶋は五月六日午前に二度目の受診をしているがその際には頸部及び右肘部については痛み等の訴えもなく治療行為も何らなされておらず、既に治癒していたこと、右腰、右肘についても五月七日時点において痛み等は消失しており、結局右負傷は三日間程度で全て治癒したものであること、川嶋は五月五日の初診後も数度にわたって診察を受けているが、これは、右受傷のためというよりも、吐き気や目まいの症状があったためで、しかも右症状の原因は腎機能不全によるものであり、右受傷とは関連がないこと、右受傷のため川嶋が欠勤したような事実はなく右による多少精神的な動揺はあったものの日常生活の支障は格別なかったようであること等が認められる。
したがって、右認定によれば、川嶋明夫の蒙った傷害の程度は極めて軽微なものであり、本件事後強盗罪の構成要件要素である暴行行為によって不可避的に発生する範囲内の生理的機能の障害にとどまるというべく、いまだ右の程度では強盗致傷罪の構成要件要素である傷害には該らないと考えるのが相当で本件の訴因は強盗致傷罪には該当しないと云わねばならない。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、被告人は本件犯行当時、サラ金の支払に窮し独りで思い悩み、糖尿病の悪化等も加わって極度に疲労困憊し、心神耗弱の状態にあったとの理由でその刑の減軽を主張するが、被告人が当時サラ金の支払に窮し糖尿病を患っていたことは認められるけれども、その事理弁識の能力に影響がなかったことは前掲各証拠により明らかであって、心神耗弱の状態にあったものということはできないから、右主張を採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二三八条に該当するところ、犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予することとする。
訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
被告人は、以前友人のために保証人となり、その保証債務金の支払のため家族に内緒でサラ金で繰返し借金し、その利息の支払にも窮することとなったにも拘らず、これまで金銭面で苦労をかけ続けてきている妻に打ち明けることもできず、苦悩の末本件犯行に及んだものであるが、窃盗自体は下見をしたうえでの犯行であって計画的なものであり、悪質なものといえる。
しかしながら、被告人は昭和四九年一二月窃盗(店舗荒し)を犯して、起訴を猶予された際、検察官から、「今度同じようなことをしたら刑務所行きだぞ。」と注意されていたことを本件窃盗時に思い出したため、窮余、暴行に及んだもので暴行自体は何ら計画的になされたものではないこと、被害者との間には示談が成立しており、被害者は被告人の家族の不幸を憐れみ、心から宥恕していること、被告人には同種前歴はあるものの前科はなく、今回の犯行を強く反省し、改悛の情が顕著であり、本件犯行の主たる動機と思料される家族に内緒の債務もこれを期にすべて親族によって弁済され、被告人には本来勤労意欲もあり、現在は定職を持って家族の生計を支えるに足りる収入を得ており、再犯のおそれが極めて少ないものと認められること等の諸般の事情を考慮し、刑の執行を猶予することとした。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山中孝茂 裁判官 宮本定雄 上田昭典)